火事場と鉄火巻
えー、火事場なんてぇものは、誰しも慌てるもんでございます。
火の手が上がったと聞けば、財布だ通帳だと抱えて飛び出す。
ところが寿司屋の親方ってぇのは、ちと様子が違う。
「親方! 火事です!」
「おう、分かった」
そう言いながら親方が手に取ったのは、金庫でもなく、帳簿でもなく――鉄火巻。
「親方、それじゃありません!」
「いいんだ、いいんだ。火事場は腹が減る」
えんやら外へ逃げまして、煙の向こうで親方、鉄火巻をもぐもぐ。
弟子が聞きます。
「親方、命あっての商売じゃありませんか」
すると親方、ゆっくり首を振って申します。
「命は逃げりゃ助かる。 だがな、期限は逃げてくれねぇ」
「期限、ですか?」
「そうよ。役所の期限だ」
火事だろうが、水だろうが、書類が燃えようが、印鑑が溶けようが、役所は一言。
「期限は期限でございます」
親方、最後の一切れを口に放り込みまして、こう言いました。
「だからな、 火事場で一番あわてるのは寿司屋じゃねぇ」
「・・・・・。」
「行政書士だ。しかも翌日までに、三部提出だ。返送用封筒も忘れずに、だ」
※非常時でも手続きは平常運転です。


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